特集1

設立ドキュメント「広告に真実を」フリーライター 千葉ちよゑ

40年以上前、日本の経済が急成長する中、不当表示事件が横行し、広告自主規制団体設立の機運が高まりました。それに応え、広告関係団体、広告主、媒体社、広告会社などが自ら結集。所管官庁も異例のスピード許可に協力し、JAROが誕生しました。アメリカ視察、団体の名称決定、中曽根康弘通産大臣の設立総会出席、設立後の会員媒体社によるPR協力など、多くのエピソードを交えJARO設立をドキュメントします。

私が関わったJARO設立

伊東光晴氏
京都大学名誉教授・JARO審査委員長

今、思い出せば、それが日本広告審査機構の最初の一歩だったのかもしれない。朝日新聞と読売新聞の広告局長が、2人で私の家に見えたのである
JARO設立時から審査委員会に携わり、現在、審査委員長を務める伊東氏の自宅を新聞社の方が訪ねてきたエピソードを紹介。JARO初代審査委員長の人選の経緯を執筆いただきました。

不当表示事件とJARO設立

伊従寛氏
弁護士・元公正取引委員会景品表示課長

1960年7月に「にせ牛缶事件」が起こり、公取委はこの問題について業界と折衝することにした。ちょうど私はこの問題を取り扱っていた公取委経済部調整課に一事務官として勤務していた
にせ牛缶事件、合成レモン事件、合成マーガリン問題、悪質不動産広告問題など、当時の公正取引委員会景品表示部門でさまざまな事件を担当した伊従氏。行政の現場の視点から、伊従氏が感じていた業界横断的な自主規制機関の必要性を執筆いただきました。

特集2

JAROのテレビCM40年史

JAROが40年間に制作したテレビCMは36編。設立10周年に生まれた「JAROって何じゃろ」という多くの方に親しまれたコピーの決定や、「苦情」を「意見」にしたり、「うそ、大げさ、まぎらわしい」を「誤解をまねく」に改めたり苦心を重ねたナレーションなど、これまでのテレビCMをエピソードとともに振り返ります。

JARO 40年史

40年間のJAROのあゆみと、審査実績がご覧になれます。

40周年記念事業

40周年記念事業をご紹介。JARO10年ビジョンの策定、記念シンポジウム、PRキャラバン、記念誌の刊行を行いました。